田沼時代と令和の現代と・・・・・

今日は成人の日、祝日です。

 

が・・・・・・・、私はいつものように出勤しています。

 

今日は企業支援の日です。

コンサルティングは午後なのですが、午前中から気持ちを高めていく必要もあるので、いつものように7時に出勤しました。

 

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日曜日の夜は、いつものようにNHKの大河ドラマ「べらぼう」を見てから寝ました。

 

昨日の第2回の放送を見ていて、この時期の日本は、現代の日本と同じような部分があるなと考えています。

 

田沼時代(10代将軍徳川家治時代)は、貨幣経済が浸透していて、田沼老中は重商主義を進めていました。

 

その理由は、武士の給与は米で支給されるので、市場で安く買いたたかれて武士が困窮するということが普通に起こっており、それに何とか太刀打ちしようとしていたものです。

 

しかし、古参の重臣(ここでは松平武元)は、「商人に米を高く買えと言えばよい。」などと、お上の意向を世に知らしめて・・・・とか、ただただ武士の威厳を保たねばならないなどという考えが支配しており、なかなかうまくいきません。

 

そのうち、田沼意次は失脚させられ、昔ながらの考え方の松平定信(御三卿、一橋徳川家出身)の寛政の改革で元の木阿弥になるわけです。

 

「べらぼう」の中でも、のちの松平定信である田安徳川家の賢丸が一橋家の徳川治済に「吉宗公の血を引く我らには、なすべきことがあるだろう」と、食って掛かていました。

 

徳川御三卿(田安、一橋、清水)の役割は将軍家に後継ぎが無い場合は跡継ぎを養子として差し出すことであり、ただただ、健康に生きていることが役割なのですけどね。

 

それでも、やっぱり武士は武士らしくというのが染みついているのはしょうがないのでしょう・・・・・

 

もう、世の中はとっくに米経済から貨幣経済に移行しているのに、政治の中心にいる幕閣や徳川一門の考えがまったく凝り固まっているわけです。

 

で、・・・・現代に置き換えてみると・・・・

 

平成の30年間で日本型の経営は時代に合っていないということは分かっているにもかかわらず、未だにバブル経済の成功体験が忘れられず、グローバル経済に乗っかれない日本の経営者たちがいるというところでしょうか。

 

まだまだ、日本の低迷は続くのでしょうか?

 

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さあ、今日もしっかり頑張ろうか・・・・